私たちの周りには、恋愛をテーマにした映画やドラマ、漫画、小説などのエンタメ作品がたくさんあります。「恋をしてきれいになる!」のような、恋愛をすることを薦める雑誌記事も少なくありません。友だちと恋の話をすることもあると思います。
そんな状況で、「ある程度の年齢になれば恋愛をしていて当然」「カップルになった人こそが幸せ」「モテなきゃいけない」などと思い込んではいませんか?
恋愛は人間関係のひとつです。家族、友人、クラスメイト、部活やサークルの仲間、アルバイトや職場の人など、たくさんある人付き合いのひとつに過ぎません。ですが、友だちやメディアから得る情報の中には、“恋愛=一番価値のあるもの”として、カップルでなければ幸せになれないという恋愛至上主義を謳うものがあふれています。過去には、恋人がいたり、結婚をしている人のことを「勝ち組」、そうじゃない人を「負け組」と表現したこともありました。その結果、「好きな人を作らなきゃいけない」「モテたい」というプレッシャー(仲間からの「みんなと同じでいなきゃ」という同調圧力)を感じたり、自分を偽ってでも好かれるように努力するといった、不自然なことが起こってしまうのです。
私たちの基本はカップルではなく、個人です。 恋愛しているほうがエラいとか、人として優れているなんてことはありません。
恋愛に興味があってもいいし、なくてもいい。
好きな人がいてもいいし、いなくてもいい。
片思いでも両想いでもいい。
恋をしていなければおかしい年齢などもありません。
慌てたり無理をしたりせず、自分の思うがままでいいのです。こうしなきゃいけない、ということは何一つありません。みんながしているからといって同じように恋愛をする必要はないし、誰かにピア・プレッシャーを与えないようにすることにも気をつけなければいけません。
お付き合いの形も同様です。「付き合ったらセックスをするのは当たり前」なんてこともありません。恋愛と性的欲求、セックスはセットではないので、切り離して考えるようにしましょう。 一緒にいたり、話をしたり、触れ合うだけでもいい。付き合いや性行為の形は多様です。お互いを尊重し、二人にとって心地のいい付き合い方を見つけることが大事だし、そのプロセスを行うことで信頼関係も高まるはずです。また、男だからおごって当たり前、女だから手料理を作る、といった、「男だからこう」「女だからこう」というジェンダーバイアスに縛られる必要もありません。
お付き合いをしている時に気をつけなければいけないのは、親密な関係のなかに、支配する・支配されるという関係が生まれることです。配偶者や恋人などによってふるわれる暴力をドメスティック・バイオレンス=DVといいますが、恋愛関係にある人の間、元恋人間で起こるDVをデートDVといいます。
暴力には、身体的なものや、大声で怒鳴ったり侮辱をするような精神的なもの、経済的なもの、性的なもの、人間関係や行動について介入する社会的なもの、スマホをチェックしたり他の人と連絡を取ることを禁止するようなデジタルにまつわるものなど、さまざまな種類があります。 必ずしも男性=加害者、女性=被害者ではなく、逆のパターンもあれば、同性間の恋愛でも起こりうるものです。
重要なのは、お互いを尊重する意識や、自己をコントロールする判断力、自分の性について責任を持って自己決定をすること、互いの対等で平等な関係の中での同意を重視することです。もし、二人でいることに不自由さを感じているなら、関係を見直してみることも大切です。